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欧州理事会と欧州中央銀行が今、最も急いで打ち出すべき政策は、ギリシャを始めとする落伍国がユーロ体制から脱退する手順である。今のところはギリシャ一国だけで済むかもしれない。除名ではない。この誉れ高い国家の「名誉ある退場」を、残るユーロ国が総起立、恭しい敬礼をもって送りだすのだ。
ギリシャが負っている対外債務は、この際、50%までをドイツとフランスの2国で保証する。ドイツはユーロ通貨が流通してからの10年間で、単一通貨の有難味をいちばん謳歌した国である。ギリシャの危機さえドイツの輸出産業にとっては福音だった。ドイツは労せず手にしたユーロ安によって、円高に苦しむ日本の輸出品を各地で制覇した。フランスは2003年から11年まで欧州中央銀行にジャンクロード・トリシェ総裁を送り込んでいた。ギリシャで劇的な財政悪化が進んだこの時期、ECBはアテネから送って来る改竄された財政の数字を見て見ぬフリをした。まあ、それはともかくとしても、このさい、ベルリンとパリが救済連盟を手早くつくるほか、道はないだろう。救済するのはギリシャではない。ユーロ体制そのもの―そしてあなたたちの国―である。
ヨーロッパを単一通貨ユーロだけの大経済圏にする。それは、内に戦争のあり得ないユーロ連邦共和国の成立であり、米国を筆頭とする経済強国群との大競争時代到来に備えた難攻不落のヨーロッパ橋頭保を建設することである。ジスカールデスタン、ヘルムート・シュミットの時代にそのイメージをしっかり持った欧州の能力は賛嘆するに値する。ただ、ヨーロッパの政治家と官僚はアタマが良すぎて、割り切れない数も割り切るのを得意とした。
ユーロの胎児期に当たる欧州通貨制度(EMS)および勘定単位としてのエキュ(ECU)が世に知られたのは1978年7月のブレーメンEC首脳会議でだった。会議を采配したシュミット独首相のスポークスマン、クラウス・ベリング情報長官は会議中何度かプレスルームに現れ、諸外国の記者たちに国際通貨学初歩の講義をした。EC諸国は域内通貨間の為替変動幅を次第に縮め、最終的にはゼロとする。それは米ドルと初めて互角に渡り合える欧州単一通貨の誕生になるであろうと。
しかし、ジャーナリストとして現場に居合わせた私には、終始、腑に落ちないことがあった。当時既にECは、いわゆる「スネーク」為替介入を実施していた。しかし実際には、英スターリング、仏フラン、イタリア・リラという欧州3大通貨がドイツマルクへの市場信認の高まりについて行けず、スネーク制度からの一時的離脱や対ドル平価切り下げを行わなければならない事態が続出していた。私がその点を質すと、ベリング氏は、EC各国間の経済・財政パフォーマンスの差異は、これから何度かにわたり強制的な「コンバージェンス」(収斂)を課せられるのだ、と答えた。
私はそれを聞きながら、ドイツとイタリアが経済体質を同じくすることは決してあるまいと感じたし、今日もその考えは変わらない。しかし、ユーロのスターティング・メンバーとしてイタリアは頑張っている。ギリシャと同列にはできない。さてそのギリシャ国民は、今では、ユーロによる繁栄に、もはや何の幻想も抱いていないだろう。ギリシャ人にとっての「収斂」とは北方の野蛮なガリア人たちが決めた指標にアテネの市民を従わせることではない。彼らの懐かしい通貨「ドラクマ」はアレクサンダー大王の時代、エーゲ海から黒海、カスピ海、インド洋にまで流通した世界金貨だった。ユーロを去ったギリシャはドラクマを再び得て、ブリュッセルやフランクフルトに支配されない自分たちのギリシャを再発見するだろう。
ユーロ諸国は安堵の数カ月か数年を過ごした後、次の迷える羊に出合うだろう。人工的・強制的な「収斂」は、さまざまな歴史と国民性を背負った国々の経済・財政行為を、縛りつけられるものでない。
(筆者は和光大学名誉教授・国際政治。)
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